適応障害と診断されて薬を飲むように…

 

お母さんの知り合いが教えてくれた
病院に行って薬を飲むようになった。

診断名は”適応障害”

最初は薬を飲みながら仕事できてたけど
薬が慣れてきたのか、段々効かなくなってきて
緊張と不安と顔の震えが始まったんだよね。

 

身体に異変が起きはじめたとき

1番初めて同じような、顔の震えが出たのは
高校3年生の合唱祭の時。

その時はその1回だけだったし、緊張してたからかな?って
思ってたけど、今思えばもしかしたら高校の時から
何かしら体か心が不調だったのかもね。

 

パチ屋で働くことが難しいと判断して
病院から診断書をもらってパチ屋を辞めた。

 

引き金になったアルバイト先を辞めたから
体は元に戻ると思ってた。でも違った。

どんどん酷くなっていったんだよ。

布団から出れない。TVも見たくない。食欲がない。
お風呂に入る気力もない。ご飯も味がしない。
ひとくちふたくち食べただけで食べたくなくなる。幻覚や幻聴。

訳もなく涙が出てくる。

電車にも乗れない。さいあく移動はタクシーだったり
お父さんが運転してくれる車だけ。

 

8ヶ月ぐらい続いた闘病生活

闘病生活は、8ヶ月ぐらい続いた。

最初の数ヶ月は、ほとんど家から出れなかった。

家から出るのは、週に1回。
お父さんの仕事が休みの日に、病院に連れてってもらって
薬をもらいに行くだけ。

 

薬がなかなか自分に合わなくて、副作用がきつかった。

朝起きるたびに、とてつもないモヤモヤ違和感を感じて
気持ち悪い日や、
吐き気が止まらずにトイレに駆け込む日も。

1番しんどかったのは薬の副作用で出た吐き気。
初めて本気で死にたいと思ったよ。

 

薬を何回も変えて、病院も変えた。

1番最初に行った病院より、大きい病院で検査をした。

ロールシャッハテスト、心理テスト 、CTもとったり。

 

病院を変えたら、診断名も変わった。
先生は口にしてなかったけど、 カルテにはパーソナリティーって
書いてあったな~。

その時の担当の先生には、治療は年単位でかかると言われたけど
その時は先生がそう言った意味が全然分からなくって。
治療に1年以上もかかるはずないって軽く考えてた。

 

入院の話が出て病棟を見たこともあったけど、
入院は絶対したくないと思ったからしなかった。

薬も変わってカウンセリングもしようってなって
1回カウンセリングを受けて2回目行った時、
別に話したいこともないなって思ってカウンセリングは辞めた。

 

プロフィール第8話:宗教と、性感マッサージと、それから私。