両親の不仲が始まって家庭崩壊の危機

 

だんだん、母親と父親が会話しなくなっていった。

たまに、両親が喧嘩するときもあった気がする。

そのなかでも脳裏のなかに強く記憶が残っているのは
離婚するっていう喧嘩が始まったとき。

私の”きょうだい”が、自立できるようになったら離婚するって
いう話になっていた。

私は、トイレの中に引きこもって1人で泣いた。

両親が離婚するのは絶対に嫌だったし、そのことを考えると
凄く悲しい気持ちになった。

両親が離婚することになったら、自分のせいだとも思った。

自分のせいで、両親が仲悪くなったんだって思っていた。

当時、自分自身をひどく責めていた。

 

父親が何かを察したのか、トイレのドアの前まで来て、
「私のせいじゃないって。私は悪くないよ」って言ってくれた。

それでも、そのとき涙は溢れ続けた。

家庭環境の悪化がはじまった

母親が怒鳴って、慰謝料がどうのこうのって父親と言いあっていた日。

私は、階段の下で耳をすませながら聞いていた。

とうとう、最悪な日がやってきた。

母親と父親が、全く話さなくなった。

 

父親はお風呂とトイレ以外、1階に降りてくることがなくなった。
それ以外は、ずっと部屋にこもりっきり。
食事も、父親自身の部屋に持っていって食べていた。

 

家族で1つの机で食事をすることがなくなってしまった。

本当に、私にとって凄く悲しいことだった

家族で買い物に行くことも、外食に行くこともなくなった。

 

本格的な家庭内別居が始まった。

私は、そんな家庭環境が物凄く嫌すぎて早く家を出たかった。

母親には高校を卒業したら1人暮らしをしていいって言われていた。
だから、高校卒業するまで我慢するしかなかった。

とりあえず母親が毒親と言ってもおかしくないぐらい厳しかった。

小学生の時、友達の家に遊びに行くのもダメ。

家の窓から抜け出して、友達の家に遊びに行ったりしたことも(笑)

その度に、友達の家電に電話されて私が来ているか確認することも

他の人と連絡とれないようにする為に、携帯を解約されたこともあった。

高校生の途中から、門限は18時半になって門限を破ると携帯没収
という悲しい結末に。

 

プロフィール第5話:高校3年生の頃、心と身体に異変が・・・